前号では、介護の話から少し離れて、かつての日雇いアルバイトの経験について書きました。今回もその続きです。
ある日、派遣会社から、「朝7時に田端駅前集合」とだけ告げられた仕事がありました。言われた通り、集合場所に行ってみると、薄汚れた防寒用のジャンパーと安全靴が配られ、5~6人ずつワゴン車に乗せられました。
現場に向かうワゴン車の中では、誰もがみな無言でした。居眠りをしている者もいれば、タバコをプカプカ吸っている者もいましたが、話をする者はいませんでした。私も、「これからどこに連れていかれるんだろうか」と考えながら、車窓の景色をただぼんやりと眺めていました。都心を抜けてしばらくした頃、海が見えてきました。車窓から空を眺めると、発着する飛行機が何機も見え、ようやくそこが羽田空港の近くであることが分かりました。私たちの乗った車は、大きな建物が並ぶ路地へと、どんどん入っていきました。運転手の、「現場に着いたぞ。みんな降りろ!」という声ではっと我に返り、急いで車から降りました。車を降りて周囲を見渡すと、鉄筋コンクリートの白い大きな建物が、団地のようにいくつも並んでいました。「今日は団地の掃除か?」と思って建物の壁面を見上げてビックリです。なんと、そこには大きな文字で、「団地冷蔵庫」と書いてあるではありませんか!
「団地」は知っていますし、もちろん「冷蔵庫」も知っています。でも、「団地冷蔵庫」という言葉は、生まれて初めて目にしました。恵比寿にある有名なラーメン店「九十九ラーメン」で、「味噌チーズラーメン」というメニューを見た時と同じくらいの衝撃でした。ちなみに「味噌チーズラーメン」は名前のまんまで、味噌ラーメンに粉チーズが山ほどのっているラーメンです。そして、「団地冷蔵庫」もそのまんまで、団地一棟が巨大な冷蔵庫になっているのです!ここでようやく、南極観測隊ばりの防寒ジャンパーと安全靴が配られた意味が分かりました。
またしても嫌な予感に襲われながら立ち尽くしていると、突然、大音響でラジオ体操の音楽が流れてきました。そして、「コラーッ、しっかりやれー!!」と怒鳴られながら、ラジオ体操の第一から第二までやらされました(笑)。そんな私たちを横目に、大きな冷凍トラックが続々と到着し、トラックの荷台と団地冷蔵庫とがベルトコンベアでつながれていきました。私たちは、団地冷蔵庫の中と、トラックの荷台とにそれぞれ配置され、冷凍食品が入った段ボール箱をひたすら運び続けました。そのキツイことキツイこと!室温マイナス30℃の世界にいるというのに、汗びっしょりになるほどの重労働でした。
芸能界を引退してからの1年間は、そんな毎日の連続でした。日々、「仕事なんだから頑張ろう」という気持ちと、「一生、こんな生活なんだろうか」という不安との間を、行ったりきたりしていました。ある日のことです。夜中にテレビをつけると、施設で働きながら介護福祉士を目指している女性を特集したドキュメンタリー番組が放映されていました。介護の仕事が世間にまだ知られていない頃でしたから、最初は「こんな仕事もあるのか」程度でしたが、いつの間にか寝ていた布団をはねのけ、食い入るようにテレビを観ていました。そして突然、“自分がやりたい仕事はコレだ!”という気持ちが稲妻のように走りました。番組の女性が、目標をもって実に一生懸命いきいきと仕事をしており、支援を受けているお年寄りも本当に嬉しそうだったからです。悶々としながら日雇い派遣の仕事をしていた私にとって、介護の仕事との出会いは、人生を大きく変える転機となったのです。
COLUMN
介護走り書き(連載10回目)