前号まで、2回にわたってお話してきたように、私は芸能界を引退してからの1年間、不安定な日雇いアルバイトや内装職人見習いをしながら、なんとか食いつないでいた状態でした。「資格も技術もない以上、この仕事で頑張るしかない」という諦めの気持ちがある一方で、「このままの状態が一生続くのだろうか」という不安…。
日ごとに仕事、いや、人生そのものに対する意欲が低下していき、今にして思うと、まさに“負のスパイラル”に陥っていたかのような1年間でした。
そんなある日、テレビをつけると、老人ホームで介護の仕事をしている若い女性が紹介されていました。その女性は、じつに生き生きと介護の仕事をしていて、その上、介護福祉士の国家試験に向けた勉強もしていました。
すっかり目標を失っていた私でしたが、この番組を観た瞬間、「コレだ!俺ももう1回チャレンジしてみよう!」という思いが稲妻のように体を走ったのです。すでに深夜をまわっていましたが、アパートを飛び出し、求人情報誌を買いにコンビニへ走りました。そして、求人が出ている老人ホームにかたっぱしから電話をかけ、「介護の仕事をしたいんです!」と訴え続けました。もちろん、真夜中に人事担当者が勤務している施設などあるわけはなく、まともに相手にしてもらえないところがほとんどでした。
ところが、施設によっては夜勤中の介護職員が電話に出てくれて、私の意味不明な話を聴いた後、「いつか一緒に働けたらいいですね。頑張ってください。」というような優しい言葉をかけてくれたと記憶しています(泣)。
そんなこともあり、ますますやる気満々になった私は、翌朝、改めて電話を掛け直しました。
しかし、人生は甘くありません。どの施設も、「勉強して、資格を取ったらまた連絡してください。」という返事でした。介護の仕事をするためには、勉強して資格を取らなければならないことは分かったのですが、当時は学校に行けるような状況ではありませんでした。でも、「介護の仕事をしたい!」という気持ちだけは強く持っていたので、それこそ人に会うたびに、「介護の仕事をしたい」と訴えていました(笑)。
そんなある日、私がいつものように「介護の仕事をしたい」と話していたところ、そこでその話を聞いていた人が、「知り合いの施設長に聞いてみようか?」と言ってくれたのです!もちろん私は、ぜひにとお願いしました。それから、しつこい位にその施設に連絡をして(笑)、なんとか面接までこぎつけることができたのです。面接のとき、施設長はニコニコしながらも、「福祉や医療の仕事はそんなに甘いものじゃないよ。正直なところ、芸能界にいたような人には続かないと思うよ。いやだったら、すぐ辞めてもいいからね」と言いました。きっと、「こんな芸人崩れには無理だろう」と思ったのだと思います。
ところが、その予想は完全にハズレました(笑)。仲間に囲まれ、利用者に感謝されながら働く職場は、日雇い時代と比べると夢のように思われました。私自身、感謝の気持ちでいっぱいで、毎日毎日、わからないなりに一生懸命利用者の方々と向き合いました。利用者の方と夜を徹して将棋を指したり、休みの日も施設に行って利用者とおしゃべりをしたりと、夢中で働いていました。
そして、1年でも早く介護福祉士の資格を取ろうと思い、NHK学園高等学校専攻科(通信課程)で勉強を始めました。28歳にして、生まれて初めて一生懸命やった勉強です。働きながらの勉強は、決して楽なものではありませんでした。でも、やるからには全部Aをとって、首席で卒業してやろう!と決めていました。日勤の日は毎朝5時に起きてレポート書きをし、夜勤明けの日は、帰宅してから少しだけ眠って、夕方から勉強しました。明確な目標を得た私は、勉強を辛いものだとは思わなかったのです。
COLUMN
介護走り書き(連載11回目)