COLUMN

介護走り書き(連載2回目)

 先月から始めたこの連載、思いがけず多くの方から「面白かった」との感想をいただきました。ほんの走り書きのつもりでしたが、「これは気合い入れて書かなきゃならん!」と決意も新たに、パソコンに向かっております。
 先月の自己紹介にも書きましたが、私は約8年間お笑い芸人として活動した後、老人ホームに就職しました。それから約10年間、医療・福祉の現場に勤務したことで、いろいろなことに気付きました。その中の一つに、「『お笑い芸人の仕事』と『介護の仕事』の違い」があります。今月は、そんなことを中心に書いていきたいと思います。

 みなさんは、「お笑い芸人」という職業に対して、どのようなイメージをお持ちでしょうか。最近では、テレビをつけると、必ずどこかのチャンネルでお笑い番組をやっていると感じるくらい、お笑い番組が多くなりました。まさに「お笑いブーム」ですね。うちの学生に言うと「ナンすか、ソレ?」と笑われますが、今から約30年前、いわゆる「漫才ブーム」がありましたが、今は当時を上回る勢いを感じます。
  私が芸人として活動(「活躍」でないのが残念!)していた時代は、お笑いのネタを披露するテレビ番組はほとんど無く、年に数回の深夜番組を除けば、ライブハウスや地方の営業が主な仕事場でした。毎月開催されるライブでは、必ず新ネタを披露しなければならない決まりがあったので、常にネタ作りと稽古に追われていました。深夜の公園でネタの稽古をしていると、ホームレスの方々が集まってきて、「相変わらず面白くねぇーな」なんて、ダメ出しされては傷ついたものです(笑)。

 私は、「お笑い芸人の仕事」は、常に一方向の仕事のような気がしています。お客さんの気持ちや考えは二の次で、とにかく自分達が作ったネタがどこまで通用するか押しまくる、お客さんの反応が薄ければ、笑いが起こるまで押しまくる強引さが求められる仕事です。すなわち、圧倒的なパワーがなければ、プロとして通用しない世界です。例えて言うならば、「鳴かぬなら、鳴かせてみせようホトトギス(豊臣秀吉)」って感じですね。場合によっては、「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス(織田信長)」くらいの迫力が必要です(笑)。

 翻って「介護の仕事」は、一方向ではどうにもならない仕事です。なかには、「お風呂に入りたくない」と言っている利用者を、無理やりお風呂に入れてしまうような、一方向で押しまくっている介護職員もいますが、それでは専門職としては失格です。「介護の仕事」では、「双方向の思考過程」がとても大切です。「鳴かぬなら、鳴くまでまとうホトトギス(徳川家康)」、あるいは「鳴かぬなら、鳴かなくて良いホトトギス」、はたまた「鳴かぬなら、俺が鳴いちゃうぞホトトギス」って感じです。
 そして、介護職員として支援している自分の思いが利用者に通じた時、または利用者の思いが介護職員である自分に通じた時には、何とも言えない喜びを感じます。この感覚は、お笑い芸人の時には決して感じることが出来ませんでした。

 仕事やボランティア活動、あるいはプライベートな場面でもそうですが、いつも自分の思い通りに周囲が行動してくれるとは限りません。そんな時、「自分はこんなに一生懸命頑張っているのに、なぜこの人分かってくれないんだろう」と不満に思うことがありますよね。こういう時こそ、「双方向の思考過程」が大切だと思います。「この人が分かってくれないのには、それなりの理由がある」と考え、その問題を解決すべく思考(行動)していくのです。
 介護場面でいうならば、「目の前にいる利用者の幸せを阻害している要因」を発見し、それを解決すべく、利用者と支援者が協力していく過程です。介護の仕事の専門性とは、こういう思考や行動の過程であるというのが私の持論ですが、残念ながら、世間一般には、まだまだ理解されていないようです。
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