東洋大学教授/博士(医療福祉学)/理学療法士/社会福祉士/介護福祉士/介護支援専門員【古川和稔】






更新情報

 
 





 ■連載コラム「介護走り書き」

NPO法人とちぎボランティアネットワークが発行する『月刊ボランティア情報』に連載していたコラムです!

介護走り書き (連載1回目) 2009年9月発行

介護走り書き (連載2回目) 2009年10月発行

介護走り書き (連載3回目) 2009年12月発行

介護走り書き (連載4回目) 2009年12月発行

介護走り書き (連載5回目) 2010年2月発行

介護走り書き (連載6回目) 2010年3月発行

介護走り書き (連載7回目) 2010年4月発行

介護走り書き (連載8回目) 2010年5月発行

介護走り書き (連載9回目) 2010年6月発行

介護走り書き (連載10回目) 2010年8月発行

介護走り書き (連載11回目) 2010年9月発行

介護走り書き (連載12回目) 2010年11月発行

介護走り書き (連載13回目) 2010年12月発行

介護走り書き (連載14回目) 2011年2月発行

介護走り書き (連載15回目) 2011年6月発行

介護走り書き (連載16回目) 2011年8月発行

介護走り書き (連載17回目・最終回) 2011年10月発行 


 ■介護走り書き(連載1回目)

 連載初回の今回は、介護職に関する報道について考えてみたいと思います。この記事を読まれている方の中には、ボランティア活動を実践されていたり、福祉や医療の現場に勤務され、世間一般で言う「福祉実践」と何らかの関わりがある方も多いと思います。一方で、福祉や医療の実践現場とはほとんど関わりがないという方もいらっしゃるでしょう。そう考えると、私の話に必ずしも興味がある方ばかりではないかもしれませんが、出来るだけ分かりやすく書いていきますので、気楽に読んでいただけたらと思います。

 さて、野茂秀雄という大投手が、アメリカ大リーグで大活躍していたのは、まだ皆さんの記憶に新しい出来事でしょう。彼は、並みいる大リーグの強打者を相手に、自慢の速球とフォークボールで三振の山を築き、「ドクターK」と呼ばれていました。野球のスコアブックで、三振を「K」と表すことからつけられたニックネームです。大リーグの球場で、野茂投手が三振を奪う度に、「K」と書かれたボードを掲げるファンの映像が印象的でした。この「K」のボードを見る度に、私たちは日本の大投手を誇らしく思ったものです。

翻って巷では、介護の仕事を面白がって、3Kとか8Kとか11Kとか言っている人たちがいます。このKには、残念ながら、野茂投手につけられたニックネームのような、誇らしい意味はありません。もちろん、三振のKにも関係ありません。では、介護の仕事を表すKには、どんな意味があるのでしょう。以下、私が見聞きした「K」の意味です。キツイ、キタナイ、給料安い、暗い、怖い、腰痛い、彼氏出来ない、彼女出来ない、結婚出来ない、休暇が取れない、化粧ののりが悪い、…

これにははっきり言って、「バカヤローッ!!」と叫びたい気持ちで一杯です。これに加え、最近では、「介護の仕事はワーキング・プアの代表だ」といった報道までなされています。確かに、医師や銀行員、公務員一般職などの職業と比較すると、待遇面で介護の仕事は劣るかもしれませんが、一方で売上ノルマや長時間労働があるという話もまず聞きません。つまり、どんな職業にも「負の要素」と「正の要素」があり、一方だけに焦点を当てては正確な議論ができないということです。そして、介護の現場にはこのような「負の要素」など関係なくなってしまうほど大きな「正の要素」があると私は思っています。

事実、お笑い芸人や内装職人見習いをやっていた私は、介護の仕事はなんて素晴らしい仕事だろう!と感動したことを憶えています。利用者やご家族から「ありがとう」と言って頂ける仕事、歩けなかった方が歩けるようになったり、少しずつでも元気になって自立していく姿を目にできる仕事は、世の中にそう多くはないと思います。

また、自分の努力次第で、様々な施設や関連する資格にどんどんチャレンジし、ステップアップができるのもこの仕事の魅力です。私自身、最初は老人保健施設に就職しましたが、「特養(特別養護老人ホーム)も経験してみたい」とか、「医療的側面から高齢者をサポートしたい」といった思いから、老人ホームや病院などを離職(転職)しています。そして、最初はまったく無資格の介護職員でしたが、今では多くの資格を保持しています。

繰り返しになりますが、「負の要素」ばかりではなく、「正の要素」にも着目して欲しいと思います。介護の仕事に就く人がいなくなり、将来的に介護現場を疲弊させてしまうことだけは避けなければならないからです。

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 ■介護走り書き(連載2回目)

 先月から始めたこの連載、思いがけず多くの方から「面白かった」との感想をいただきました。ほんの走り書きのつもりでしたが、「これは気合い入れて書かなきゃならん!」と決意も新たに、パソコンに向かっております。
 先月の自己紹介にも書きましたが、私は約8年間お笑い芸人として活動した後、老人ホームに就職しました。それから約10年間、医療・福祉の現場に勤務したことで、いろいろなことに気付きました。その中の一つに、「『お笑い芸人の仕事』と『介護の仕事』の違い」があります。今月は、そんなことを中心に書いていきたいと思います。

 みなさんは、「お笑い芸人」という職業に対して、どのようなイメージをお持ちでしょうか。最近では、テレビをつけると、必ずどこかのチャンネルでお笑い番組をやっていると感じるくらい、お笑い番組が多くなりました。まさに「お笑いブーム」ですね。うちの学生に言うと「ナンすか、ソレ?」と笑われますが、今から約30年前、いわゆる「漫才ブーム」がありましたが、今は当時を上回る勢いを感じます。
  私が芸人として活動(「活躍」でないのが残念!)していた時代は、お笑いのネタを披露するテレビ番組はほとんど無く、年に数回の深夜番組を除けば、ライブハウスや地方の営業が主な仕事場でした。毎月開催されるライブでは、必ず新ネタを披露しなければならない決まりがあったので、常にネタ作りと稽古に追われていました。深夜の公園でネタの稽古をしていると、ホームレスの方々が集まってきて、「相変わらず面白くねぇーな」なんて、ダメ出しされては傷ついたものです(笑)。

 私は、「お笑い芸人の仕事」は、常に一方向の仕事のような気がしています。お客さんの気持ちや考えは二の次で、とにかく自分達が作ったネタがどこまで通用するか押しまくる、お客さんの反応が薄ければ、笑いが起こるまで押しまくる強引さが求められる仕事です。すなわち、圧倒的なパワーがなければ、プロとして通用しない世界です。例えて言うならば、「鳴かぬなら、鳴かせてみせようホトトギス(豊臣秀吉)」って感じですね。場合によっては、「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス(織田信長)」くらいの迫力が必要です(笑)。

 翻って「介護の仕事」は、一方向ではどうにもならない仕事です。なかには、「お風呂に入りたくない」と言っている利用者を、無理やりお風呂に入れてしまうような、一方向で押しまくっている介護職員もいますが、それでは専門職としては失格です。「介護の仕事」では、「双方向の思考過程」がとても大切です。「鳴かぬなら、鳴くまでまとうホトトギス(徳川家康)」、あるいは「鳴かぬなら、鳴かなくて良いホトトギス」、はたまた「鳴かぬなら、俺が鳴いちゃうぞホトトギス」って感じです。
 そして、介護職員として支援している自分の思いが利用者に通じた時、または利用者の思いが介護職員である自分に通じた時には、何とも言えない喜びを感じます。この感覚は、お笑い芸人の時には決して感じることが出来ませんでした。

 仕事やボランティア活動、あるいはプライベートな場面でもそうですが、いつも自分の思い通りに周囲が行動してくれるとは限りません。そんな時、「自分はこんなに一生懸命頑張っているのに、なぜこの人分かってくれないんだろう」と不満に思うことがありますよね。こういう時こそ、「双方向の思考過程」が大切だと思います。「この人が分かってくれないのには、それなりの理由がある」と考え、その問題を解決すべく思考(行動)していくのです。
 介護場面でいうならば、「目の前にいる利用者の幸せを阻害している要因」を発見し、それを解決すべく、利用者と支援者が協力していく過程です。介護の仕事の専門性とは、こういう思考や行動の過程であるというのが私の持論ですが、残念ながら、世間一般には、まだまだ理解されていないようです。


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■介護走り書き(連載3回目)

 先月は、「お笑い芸人の仕事」と「介護の仕事」の違いについて書かせていただきました。「お笑い芸人の仕事」は、強烈に押しまくるパワーが必要な「一方向の仕事」だけれど、一方、「介護の仕事」は、相手の状況や思いを理解する力が必要な「双方向の仕事」であると述べました。そこで、連載3回目の今回は、この「双方向の仕事」のもととなる「双方向の思考」について、もう少し深く考えてみたいと思います。

 私は、「双方向の思考」の重要度は職業によって異なるものだと考えています。実は今、宇都宮市のオリオン通りにある某ハンバーガーショップでこの原稿を書いていますが、ここではあまり「双方向の思考」が重要とされていないように思います。
 たとえば、皆さんがこのハンバーガーショップの店員で、カウンターの内側にいるとしましょう。レジの前には数名のお客さんが並んでいます。ここであなたが、思いっきり「双方向の思考」を意識して接客したら、どうなるでしょう?一人目のお客さんは、年齢50歳位、やや中年太りのサラリーマン風の男性です。この時、店員のあなたは、“このお客さん、ちょっと太めで血圧が高そうだから、ポテトにかける塩は少なめにしよう”と考え、ポテトの塩を少なめにして提供します。
 次のお客さんは、いつも一人で来るので、少し寂しそうに見えます。そこであなたは、カウンター越しに、「今日はいいお天気ですね!この後、どちらへ行かれるのですか?」と話しかけます。
 次のお客さんは高校生です。ここでもあなたは「双方向の思考」を意識して、「そろそろ期末テストの時期ですが、勉強は進んでいますか?私は数学が得意なので、分からない問題があったら教えますよ!」と話しかけます。
 次のお客さんは体格のよい、体育会系の青年です。“きっとお腹が空いているに違いない”と考えたあなたは、ポテトの量を超大盛りにして提供します。こんなあなたは、とても素敵な店員さんですが、すぐにクビになるでしょう(笑)。

 ハンバーガーショップで大切なことは、どのお客さんに対しても、均等均一のサービスを提供することです。例えば、「ポテトのLサイズ」であれば、いつでも、どの店舗でも、同じものを提供しなければなりませんし、商品の提供時間も同じでなければなりません。このように考えると、「芸人の仕事」のように、強烈に押しまくるパワーが必要という訳ではありませんが、同じく「一方向の仕事」と言えると思います。
 誤解の無いように言っておきますが、「一方向だから悪い」という意味ではありません。職業によって、求められる能力が違うというだけのことです。翻って、介護の仕事はどうでしょう。利用者さん全員に、均等均一のサービスを提供することが重要でしょうか?もちろん、そうではありませんよね。
 利用者さんの意向や置かれた状況によって、それぞれ必要とする介護サービスは違って当然ですし、専門職であればその時々の状況に応じてサービスの内容を変えていかなければなりません。ですから、介護の仕事では、サービスの提供に費やす時間を「1回5分以内」などと一律に設定することはあり得ませんし、やってはならないことです。

私はこの2年間、介護職員の離職問題をテーマに研究し、離職を経験した介護職員一人ひとりにインタビュー調査を行ってきました。その中で、どのような出来事がきっかけで離職を意識したのか、また、その時どのようなことを考えていたのかを聴いてみると、短期間で離職している介護職員の多くが、「やりがいのなさ」や「専門性の欠如」を理由に離職していることが分かりました。マスコミ報道でよく取り上げられる、「賃金の低さ」が理由で離職している訳ではないのです。
 介護の仕事は、「双方向の思考」が不可欠であるという点で、難易度の高い仕事と言えるでしょう。でも、だからこそ専門職なのです。日々の忙しさに流され、離職へと気持ちが傾きそうになったら、専門職としての「双方向の思考」を意識してもらえたら、と思います。

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■介護走り書き(連載4回目)

 前号では、介護職員の離職理由について少しだけ触れました。今回は、この問題について、もう少し掘り下げてみたいと思います。ということで、今月は、この連載始まって以来の「超・真面目バージョン」です!(笑)

私はこの2年間、介護職員の離職問題をテーマに研究を行ってきました。具体的には、入職後3年以内の離職を「早期離職」と定義して、実際に早期離職を経験した介護職員一人ひとりに聞き取り調査を行ったのです。マスコミ報道等では、介護職員の離職理由と言えば真っ先に「賃金の低さ」が取り上げられることが多いのですが、当事者たちの話しを丁寧に聴いていくと、実はそうではないという事が分かりました。賃金の問題が全く語られていなかった訳ではありませんが、その何倍も、何十倍も、他の理由について語られていたのです。何も、語られた時間の長短がどうこうと言うつもりはありませんが、介護職員の早期離職には、賃金以外の理由が大きく影響していたということは紛れもない事実です。

 介護職員の離職問題については、私が聞き取り調査を行う以前にも、多くのアンケート調査が行われてきました。また、私自身、医療や福祉の現場に勤務していた約10年間に、多くの離職者と関わってきました。これらの情報や経験をもとに介護職員の離職理由を概観すると、やりがい、人間関係、賃金といった「仕事上の問題」と、結婚や出産、転居や介護といった「家庭の問題」の2つに分けることが出来ます。さらに、それぞれには、自分自身の価値観や思いからわき起こってくる「内的要因」と、周囲からの強い影響による「外的要因」があると思います。これを図にすると、図1のようになります。私が聞き取り調査を行った結果、早期離職の最大の理由として挙げられていたのは、仕事上の問題かつ内的要因(図1でココ!と書いてあるところ)だったのです。

(このホームページでは、図を省略しています)

「ココ!」の一例として、青木さん(仮名;25歳・女性)の語りをご紹介します。青木さんは、最初に就職した施設を約1年で退職しました。その時の思いを振り返り、以下のように話してくれました。

 最初に離職を意識したのは、他の職員の利用者に対する対応がおかしいって思った時だったと思います。全部の職員がってわけじゃないんですけど、何人か対応が悪い人達がいたんですね。私はこだわりがあったので、絶対流されないぞって思ってましたけど。そういう人達と一緒に働いていると、「自分は違う。もっとレベルの高い施設で働けるはずだ」とかって気持ちが芽生えてきたんです。そのあたりが、離職を意識したきっかけですね。その後は結構悩んじゃったんですけど。

 悩んだ末にこの施設を退職した青木さんは、その後、別の福祉施設に再就職し、今年で5年目になりました。最近では、通常の介護業務だけでなく、新入職員の指導でも中心的な役割を果たし、バリバリ働いているとのことです。

 青木さんのような離職理由は、決して特殊な例ではありません。次号では、離職経験者の語りからみえてきた介護福祉実践の問題について、さらに深く考えてみたいと思います。って、ちょっと真面目過ぎますかね(笑)

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■介護走り書き(連載5回目)

 前号では、介護職員の離職理由について、マスコミ報道で取り上げられることが多い賃金の問題だけでなく、やりがいや人間関係が大きく影響していたというインタビュー調査の結果について触れました。だからと言って、現職の介護職員に向かって「やりがいを見出そう!」とか、「人間関係を良くしよう!」と叫んでみたところで、「なるほど!!やりがいを見出さなきゃ!」とか、「そうだったのか!人間関係を良くしなきゃ!」なんて思ってくれる奇特な人はいないでしょう(笑)。むしろ、「そんなことは分かってるんだよ!!」と反発されるのがオチです。ここで大切なのは、なぜ「やりがい」を見失ってしまうのか、あるいは、どうして人間関係が悪くなってしまうのかを考えてみることだと思います。

私は、この問題には「介護福祉実践の専門性(の欠如)」が大きく影響していると考えています。このように考えているのは、私だけではありません。介護福祉業界のオピニオンリーダーであり、私自身も大学院で指導を受けている、リハビリテーション専門医の竹内孝仁先生は、かなり前からこのことを指摘していました。私の解釈が間違えていなければ、竹内先生は、おむつ利用の高齢者に対して延々とおむつ交換を続けていくような介護を「誰にでも出来る作業=専門性のない介護」とした上で、「この“誰にでも出来る作業”が、夢に燃えて介護福祉の世界に入った若者たちから“仕事のやりがい”を奪い、職場の人間関係を歪ませ、今日の離職の大きな原因になったとみるべきだろう」と述べています1)。読者のなかには、介護福祉実践現場と全く関わりのない方も多いと思いますので、私の経験をもとに、出来るだけ分かりやすく説明させていただきたいと思います。

 現在、多くの特別養護老人ホーム(以下、特養ホーム)では、入居者の方々の要介護度が重度化しています。最も介護度が重い要介護度5、あるいはその1段階手前の要介護度4と認定された方が大半を占めているのが現状です。一般的には、要介護度4〜5というと、歩行は困難で、常時おむつを使用し、ほぼ寝たきりかそれに近い生活といった状況が想像されます。このような状態の方々を支援するのが介護職員の仕事であり、その中心的役割を果たすのが、国家資格を有する介護福祉士です。世間一般では、この介護福祉士の仕事は、介護が必要な方々の「お世話をすること」と思われている方が多いと思いますが、本来は、もっともっと奥が深い、専門的な仕事なのです。これまでの連載で、考え方としては「双方向の思考」が重要だということは説明させていただきましたが、日々の介護実践の中にも、多くの専門的支援が求められています。そこで今回は、私が、約半年前に実習生として2週間の介護実習をさせていただいた、ある特養ホームをご紹介したいと思います。

東京都にあるその特養ホームでは、施設長以下、施設職員が一丸となって、入居者の心身状況改善に努めています。そこでの介護は、単に「お世話をする」という次元ではなく、施設長自身の言葉をお借りすれば「リカレント介護」、すなわち、要介護状態の入居者の方々に、再び現役に戻ってもらおうといった理念のもとで、介護福祉実践がなされています。私は、職員の方々と一緒に介護をさせていただきましたが、そこでは、まさに専門的な介護福祉実践が行われていました。驚くべきことに、何年もおむつを使っていた方がトイレで排泄出来るようになり、何年も車椅子で生活していた方が、歩行器を使って歩く練習をしていたのです!!また、高齢者は便秘になりがちなため、多くの特養では日常的に下剤を用いていますが、その施設では、日常生活の支援や食事・水分の摂り方などを工夫して排便を促すことにより、下剤を飲んでいる入居者はいませんでした。まさに、介護福祉士が中心となり、専門的な支援が行われていたのです。ちなみに、その施設の介護職員は、みな自信にあふれ、実に生き生きとした表情で働いていました。

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■介護走り書き(連載6回目)

早いもので、この連載も今月で6回目となりました。ということは、読者の皆さんに初めてお会いしてから、もう半年近くになるのですね!当初は、せいぜい2〜3回で連載打ち切りかと思っていましたが、心優しい読者の皆さんに支えられ、どうにかここまで続けることが出来ました。これからも温かいご支援・ご声援を、どうぞよろしくお願いします!って、選挙演説みたいになっちゃいましたね(笑)

さて、前回は、私が半年前に実習に行かせていただいた東京の特別養護老人ホーム(以下、特養ホーム)のことを書かせていただきました。その特養ホームでは、介護福祉士が中心となって入居者の自立に向けた専門的な介護を行っていること、また、そこに勤務している介護職員は自信にあふれ、実に生き生きとした表情で働いていたこと、を述べたと思います。そもそもこの話しは、以下(図1)のような仮説から始まったものです。

      介護福祉実践における専門性の欠如
            ↓
   やりがいを見失ったり、職場内の人間関係が悪くなる
                   
         離職者が増える

      1  専門性からみた離職プロセス(古川仮説)

では、このプロセスを逆に考えると、どうなるでしょうか?図2のようになるでしょう。

専門的な介護福祉実践

やりがいをもて、職場内の人間関係も良くなる

職場に定着する

2  専門性からみた職場定着プロセス(古川仮説)

私が実習に行った東京の特養ホームでは、図2の状態になっていると考えられます。前号でも触れましたが、その特養ホームでは、何年間もおむつを使っていた方がトイレで排泄出来るようになり、なんと現在は、おむつを使用している入居者がゼロとなっているそうなのです!では、どのようにして、おむつゼロになったのでしょうか?

私は実習期間中、この点について施設長をはじめ、数名の職員の方からお話しを伺いしました。その結果、概ね以下のようなことが大切だと教えていただきました。@施設のトップ(施設長)が方針を明確に打ち出すこと、Aおむつをはずすために必要な介護福祉の知識を職員全員が徹底的に学ぶこと、B多くの職種が連携し、チームとして取り組むこと、C事例報告の場を設け、成功事例や工夫した点などを全職員が共有すること。

私は、「なるほど、これならば職場の人間関係も良くなるし、やりがいも出てくるだろう」と思いました。確かに、一部の職員だけではこのような支援を行うことが出来ないため、自然と職員同士のコミュニケーションが良好になります。また、そのコミュニケーションの内容が専門的であるため、「自分は専門職である」という役割の認識がなされていきます。また、入居者の状態が目に見えて改善していく様子を見ることができれば、一層、モチベーションのアップに繋がりますし、その結果を施設内外で発表することで専門職としての自信が生まれます。さらに、私のような外部からの見学者や実習生が大勢来るようになると、ますますやりがいや自信が大きくなっていくでしょう。

このような介護福祉実践が全国の施設で定着していけば、介護の仕事に対する社会的認知も高まり、一般市民の方々から「介護福祉士は専門職だ」と認識されるようになるのではないでしょうか。このような社会的な評価を得ることが出来れば、マスコミ等が話題にする「介護職員の待遇改善」という問題も、より説得力のある議論となっていくのではないか思っています。

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■介護走り書き(連載7回目)

 新年度ということで、新しい出会いのシーズンですね。私が勤務している宇都宮短期大学には、おかげさまで今年も多くの新入生が入学してくれました。毎年この時期、期待と不安で複雑な表情をしている新入生達をみると、「これからの2年間、必要なことを伝えることが出来るだろうか」、「実りある学生生活を過ごしてもらえるだろうか」という気持ちになります。その答えは、学生である彼ら(彼女ら)にしか分からないことですが、縁あって介護福祉教育に携わっている者としては、謙虚な気持ちを忘れないようにしながらも、これまで自分自身が経験してきたこと、研究してきたことをしっかり伝えて行かなければ、と身が引き締まる思いです。

私は、8年間のお笑い芸人生活の後、日雇い派遣や内装職人見習いを経て、28歳の時に無資格無経験で介護の世界へ飛び込みました。当時は、10年後の自分の姿なんて考える余裕もなく、日々、目の前にいる利用者さんに、楽しく、そして気持ち良く過ごしてもらいたい一心で、無我夢中で働いていました。今でもその傾向にあるのですが、仕事とプライベートの区別が曖昧で、仕事を終えた後もそのまま施設に残って利用者さんとおしゃべりをしたり、将棋を指したりしていました。

こうした生活を送る中で、何人もの思い出深い利用者さんと出逢いました。その中の一人に、中島さん(仮名)というおじいちゃんがいます。中島さんはアマチュア将棋の有段者で、かつてはプロの棋士を目指していたというだけあって、相当な腕前の持ち主でした。飛車角落ちにしてもらっても、私では全く歯が立たず、悔しかった私は、「もう一局、もう一局」と言っては夜遅くまで相手をしてもらいました。すると中島さんは、「よし!もういっちょやるか!」と、缶コーヒーを飲みながら、何局も付き合ってくれたものです。中島さんにしてみれば、私が相手では、弱過ぎてつまらなかったでしょうに…。そんなある日のことです。一旦帰宅したはずの女性職員が戻ってきて、「これ、夜食ね!」と2人分のカレーライスを差し入れてくれました。中島さんと私は、差し入れのカレーライスをむしゃむしゃ食べながら、さらに将棋を指し続け、夜はどんどん更けていったのでした(笑)。

このような私の行動は、見方によっては、「勤務を終えた職員が居残って、利用者の日課を乱している行為」とも取られかねません。それでも私は、「利用者としっかり向き合う」という点で言えば、大切なことだったのではないかと今でも思っています。

ここで私が言いたいことは、「プライベートの時間も使いなさい」などということではありません。偉そうに聞こえるかもしれませんが、介護の基本というか、出発点は、「利用者を“人”としてみること」だということを、もう一度考えてみたいのです。「そんなこと、当たり前だろう!利用者を人としてみていない介護職員なんかいるのか!」と思われる方も多いかもしれませんが、残念ながら、そのように感じられる場面があるのも事実だからです。私はこれまで、複数の高齢者福祉施設に約8年間勤務してきました。私が勤務していた当時もそうでしたが、福祉実践に関わっている介護職員はよく、「“業務”が忙しくて、利用者と向き合う時間がない」と言います。しかし、この“業務”という概念がクセモノに思えます。介護職員にとっての“業務”とは、何から何までを指すのでしょうか? 食事の配膳? 入浴の介助? 掃除やシーツ交換? そして、“利用者と向き合う時間”は、果たして“業務ではない”のでしょうか? …おっと、いよいよ本題というところで字数制限となってしまったようです(笑)。この続きは、次号以降のお楽しみに(笑)!
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■介護走り書き(連載8回目)

 前号では、「介護実践現場における“業務”とは何か」という問題提起まで書かせていただきました。おぉーっと、たった1行とはいえ、このつまらなそうな書き出しで、数十名の読者が“このコラム読むのは後回し”と思っちゃいましたね(笑)。いや〜、いかんいかん。そんな難しい話しをしようとしているのではないんです。だから、ぜひ最後まで読んでください(笑)。ということで本題に…

改めまして、前号では「“業務”が忙しくて、利用者と向き合う時間がない」というセリフをよく耳にするが、この“業務”とは何を指すのかという問題提起をさせていただきました。“業務”の意味について広辞苑で調べてみますと、「事業。商売などに関して、日常継続して行う仕事。なすべきわざ。仕事」となっております。つまり、商売をするうえで日常継続して行う仕事を指すのですから、例えば料理人にとっては“おいしい料理を作ること”が業務になる訳です。ここで考えてみたいのは、おいしい料理をつくるためには、さらに細かく“日常継続して行うこと” =“業務”があるのではないかということです。食材をただオーブンに入れるだけで、おいしい料理が出来ますか? 
 日々おいしい食材や調味料を仕入れること、ある程度お客さんの嗜好を把握して喜ばれるような調理法を選択すること、おいしく調理すること、おいしそうに盛り付けること、さらには使った道具を片づけること、包丁を研いだり鍋を磨いたりと調理器具の管理をすることなど、おいしい料理を作るために日常行っていること全てが業務に入ると思います。翻って介護実践現場で考えてみるとどうでしょうか。介護職員は“利用者の生活を支援すること”の専門家ですから、そのために日常継続して行うこと全てが業務になるはずです。禅問答のようになってしまいますが、それでは“生活”とはどういうことでしょうか。食事、入浴、排泄、睡眠だけで“生活”と言えるでしょうか。これらは生活の一要素であることは間違いありませんが、これだけでは“生活”とは言えませんよね。他者との関わりも生活の重要な要素の一つであるはずです。私が知る限りでは、「業務が忙しいから最近食事の配膳をしていない」とか、「業務が忙しいから、最近利用者に入浴してもらっていない」などという意見は聞いたことがありません。ただ、「業務が忙しいから、利用者と話す時間がない」という意見はしょっちゅう聞きます。
 このように考えると、改めて「業務の範囲」や「生活とは何か」ということを考えてみることが大切ではないでしょうか。その上で、利用者と関わる時間を創りだす工夫が必要だと思います。1日が24時間であることは変えようがありませんから、あとはどう工夫するかです。さながら、過日大騒ぎとなった民主党の事業仕訳のようですね。かつて私が勤務していた施設では、シーツ交換の時間を短縮しよう!ということで、ワンタッチシーツを導入しました。これを導入したことにより、シーツ交換の時間が1ベッドあたり数十秒短縮出来、施設全体で考えると数十分短縮することが出来ました。
 また、食事の際にほとんどの利用者が「食べこぼし対策のエプロン」を使用していたのですが、食事時の姿勢の見直しを徹底したことにより、大半の利用者がエプロン不要になりました。これにより、エプロンを配る時間、回収する時間、洗う時間、干す時間、たたむ時間を短縮することが出来ました。
 これらはほんの一例ですが、利用者と関わることは重要な業務の一つであるということをしっかりと認識したうえで、介護職員が知恵を出し合い、改めて時間を創出していく努力が求められると思います。もちろん、介護スタッフの絶対数が不足していることは認識しております。しかし、このようなプロセスを経なければ、たとえ人員を増やしたとしても、状況は変わっていかないと思います。今は大変な時期ですが、行動し、結果を出しながら、介護職員の待遇改善(人員面も含めて)を要求していくことが、介護職員の職場環境改善への一番の近道だと思います。


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■介護走り書き(連載9回目)

 これまでこのコラムでは、私自身が介護職員として経験してきたことや、その後の研究で分かったことなどについて少しずつ紹介してきました。介護や福祉に関心がある方だけでなく、いろいろな方に読んでもらえたら、とても嬉しく思います。

そういうわけで今回は、これまでとは少し違う内容で書いてみたいと思います。

 先日、出張で山口県に行くために、浜松町から羽田空港行きのモノレールに乗りました。ぼんやりと車窓の景色を眺めていたら、突然、十数年前の“ある記憶”が鮮明によみがえってきました。

 十数年前、私は約8年間のお笑い芸人生活を引退し、日雇いのアルバイトをしていました。毎日夕方になると、公衆電話から派遣会社に電話をし、「明日、仕事はありますか?」と問い合わせます。公衆電話というところが、時代を感じさせますよね〜(笑)。運良く仕事があれば、「明日の○時に、どこそこに行ってくれ」と言われ、仕事がなければ、「残念だけど、明日また電話してきて」と言われます。人材マーケット用語を使えば、いわば、“超スペシャルウルトラ買い手市場”ですね(笑)。そんな状態ですから、仕事があれば、その内容に関わらず、どこへでも行きました。当然、仕事には当たりはずれがあり、比較的ラクな仕事もあれば、ムチャクチャきつい仕事もあります。

ある日は、「誰にでも出来る簡単な花の仕分け作業。夜勤手当あり」という仕事でした。これは大当たりのラクな仕事だ!と思い、その日の夕方、いい気になって現場に行きました。行ってみると、そこは大きな市場のようなところで、段ボール箱が山のように積み上げられていました。しばらく待っていると親方が現れて、「よーし、じゃあこれから、この箱をあっちまで運んで、トラックにどんどん積んでいってくれ!箱に花の種類と行き先が書いてあるから、それぞれ指定のトラックに積んでくれ!」と叫びました。なんと、その段ボール箱の中身が花だというのですが、花は花でも、“たっぷりと土がついた”花だったのです(笑)。私は夕方から翌朝まで、何度も「逃げ出したい」という気持ちと葛藤しながら、その重い段ボール箱を運び続けました。確かに“簡単な花の仕分け作業” には違いありませんが、たっぷりと土がついたまま段ボール箱に詰めてあるのですから、それは“花の仕分け”というより、“重い荷物運び”ですよね(笑)。

また、ある日は、「簡単なプラスチック材料の選別」という仕事がありました。私は勝手に、「エアコンの効いた部屋で、テーブルの上に置かれた大小様々なプラスチックの部品を、似たような形ごとに選別していく仕事」を想像して、現場に行きました。ところが、行ってみてビックリです。そこには、屈強な大男たちが大勢いて、全員が毒ガス対策用の大きなマスクを着けていたのです。大男のひとりが、何も知らずに丸腰で現れた私を見て、「お前、マスク持ってこなかったのか?」と聞きました。私が「はい」と答えると、ものすごく気の毒そうな目で私を見つめ、「そうか…。まあ頑張れ」と一言(笑)。定刻になり、いざ仕事が始まりました。1階と2階が吹き抜けのようになった工場で、天井からドラム缶が逆さ吊りになっています。私たちはまず2階に上がり、大きなハンマーで、そのドラム缶を叩きまくります。すると、その中に入っている、ドロドロの廃油のようなものが、ドラム缶から下に落ちていきます。1階では、機械がその廃油のようなものを受け止め、一定間隔でガガーッという音をたてて動き、最終的には真っ白い粉のようなものが噴き出してきます。私たちは、今度は2階から1階に降りて、その噴き出し口で大きな袋をもって待ち構え、勢いよく噴き出してくる白い粉を袋に詰め、60kgずつ量って指定の場所に運んでいきます。60kgですよ!(笑)。その白い粉がどうやら“プラスチック材料”だったらしいのですが、結局やっていることは、粉だらけになりながら、60kgの袋を運んでいるのです(笑)。思い出しただけでイヤな汗が出てくるような、過酷な労働でした。

そんなある日のことです。「朝7時に田端駅前に集合」とだけ告げられた仕事がありました。集合場所に行くと、まるで南極観測隊が着るような防寒用のジャンパーと、安全靴が全員に配られました。もちろん新品ではありませんので、汚れているうえに多少臭いもあり、正直なところ、すごくイヤでした(笑)。そして、5〜6人ずつワゴン車に乗せられ、連れていかれた場所こそが…そう、羽田空港の近くでした。おおーっと、ようやく冒頭の話しにつながったところで制限字数に(笑)!←いつものパターン。
 では、この続きは来月のお楽しみに!!

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■介護走り書き(連載10回目)

 前号では、介護の話から少し離れて、かつての日雇いアルバイトの経験について書きました。今回もその続きです。

ある日、派遣会社から、「朝7時に田端駅前集合」とだけ告げられた仕事がありました。言われた通り、集合場所に行ってみると、薄汚れた防寒用のジャンパーと安全靴が配られ、5〜6人ずつワゴン車に乗せられました。

 現場に向かうワゴン車の中では、誰もがみな無言でした。居眠りをしている者もいれば、タバコをプカプカ吸っている者もいましたが、話をする者はいませんでした。私も、「これからどこに連れていかれるんだろうか」と考えながら、車窓の景色をただぼんやりと眺めていました。都心を抜けてしばらくした頃、海が見えてきました。車窓から空を眺めると、発着する飛行機が何機も見え、ようやくそこが羽田空港の近くであることが分かりました。私たちの乗った車は、大きな建物が並ぶ路地へと、どんどん入っていきました。運転手の、「現場に着いたぞ。みんな降りろ!」という声ではっと我に返り、急いで車から降りました。車を降りて周囲を見渡すと、鉄筋コンクリートの白い大きな建物が、団地のようにいくつも並んでいました。「今日は団地の掃除か?」と思って建物の壁面を見上げてビックリです。なんと、そこには大きな文字で、「団地冷蔵庫」と書いてあるではありませんか!

 「団地」は知っていますし、もちろん「冷蔵庫」も知っています。でも、「団地冷蔵庫」という言葉は、生まれて初めて目にしました。恵比寿にある有名なラーメン店「九十九ラーメン」で、「味噌チーズラーメン」というメニューを見た時と同じくらいの衝撃でした。ちなみに「味噌チーズラーメン」は名前のまんまで、味噌ラーメンに粉チーズが山ほどのっているラーメンです。そして、「団地冷蔵庫」もそのまんまで、団地一棟が巨大な冷蔵庫になっているのです!ここでようやく、南極観測隊ばりの防寒ジャンパーと安全靴が配られた意味が分かりました。

 またしても嫌な予感に襲われながら立ち尽くしていると、突然、大音響でラジオ体操の音楽が流れてきました。そして、「コラーッ、しっかりやれー!!」と怒鳴られながら、ラジオ体操の第一から第二までやらされました(笑)。そんな私たちを横目に、大きな冷凍トラックが続々と到着し、トラックの荷台と団地冷蔵庫とがベルトコンベアでつながれていきました。私たちは、団地冷蔵庫の中と、トラックの荷台とにそれぞれ配置され、冷凍食品が入った段ボール箱をひたすら運び続けました。そのキツイことキツイこと!室温マイナス30℃の世界にいるというのに、汗びっしょりになるほどの重労働でした。

 芸能界を引退してからの1年間は、そんな毎日の連続でした。日々、「仕事なんだから頑張ろう」という気持ちと、「一生、こんな生活なんだろうか」という不安との間を、行ったりきたりしていました。ある日のことです。夜中にテレビをつけると、施設で働きながら介護福祉士を目指している女性を特集したドキュメンタリー番組が放映されていました。介護の仕事が世間にまだ知られていない頃でしたから、最初は「こんな仕事もあるのか」程度でしたが、いつの間にか寝ていた布団をはねのけ、食い入るようにテレビを観ていました。そして突然、“自分がやりたい仕事はコレだ!”という気持ちが稲妻のように走りました。番組の女性が、目標をもって実に一生懸命いきいきと仕事をしており、支援を受けているお年寄りも本当に嬉しそうだったからです。悶々としながら日雇い派遣の仕事をしていた私にとって、介護の仕事との出会いは、人生を大きく変える転機となったのです。

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■介護走り書き(連載11回目)

 前号まで、2回にわたってお話してきたように、私は芸能界を引退してからの1年間、不安定な日雇いアルバイトや内装職人見習いをしながら、なんとか食いつないでいた状態でした。「資格も技術もない以上、この仕事で頑張るしかない」という諦めの気持ちがある一方で、「このままの状態が一生続くのだろうか」という不安…。
 日ごとに仕事、いや、人生そのものに対する意欲が低下していき、今にして思うと、まさに“負のスパイラル”に陥っていたかのような1年間でした。

そんなある日、テレビをつけると、老人ホームで介護の仕事をしている若い女性が紹介されていました。その女性は、じつに生き生きと介護の仕事をしていて、その上、介護福祉士の国家試験に向けた勉強もしていました。
 すっかり目標を失っていた私でしたが、この番組を観た瞬間、「コレだ!俺ももう1回チャレンジしてみよう!」という思いが稲妻のように体を走ったのです。すでに深夜をまわっていましたが、アパートを飛び出し、求人情報誌を買いにコンビニへ走りました。そして、求人が出ている老人ホームにかたっぱしから電話をかけ、「介護の仕事をしたいんです!」と訴え続けました。もちろん、真夜中に人事担当者が勤務している施設などあるわけはなく、まともに相手にしてもらえないところがほとんどでした。
 ところが、施設によっては夜勤中の介護職員が電話に出てくれて、私の意味不明な話を聴いた後、「いつか一緒に働けたらいいですね。頑張ってください。」というような優しい言葉をかけてくれたと記憶しています(泣)。

そんなこともあり、ますますやる気満々になった私は、翌朝、改めて電話を掛け直しました。
 しかし、人生は甘くありません。どの施設も、「勉強して、資格を取ったらまた連絡してください。」という返事でした。介護の仕事をするためには、勉強して資格を取らなければならないことは分かったのですが、当時は学校に行けるような状況ではありませんでした。でも、「介護の仕事をしたい!」という気持ちだけは強く持っていたので、それこそ人に会うたびに、「介護の仕事をしたい」と訴えていました(笑)。
 そんなある日、私がいつものように「介護の仕事をしたい」と話していたところ、そこでその話を聞いていた人が、「知り合いの施設長に聞いてみようか?」と言ってくれたのです!もちろん私は、ぜひにとお願いしました。それから、しつこい位にその施設に連絡をして(笑)、なんとか面接までこぎつけることができたのです。面接のとき、施設長はニコニコしながらも、「福祉や医療の仕事はそんなに甘いものじゃないよ。正直なところ、芸能界にいたような人には続かないと思うよ。いやだったら、すぐ辞めてもいいからね」と言いました。きっと、「こんな芸人崩れには無理だろう」と思ったのだと思います。
 ところが、その予想は完全にハズレました(笑)。仲間に囲まれ、利用者に感謝されながら働く職場は、日雇い時代と比べると夢のように思われました。私自身、感謝の気持ちでいっぱいで、毎日毎日、わからないなりに一生懸命利用者の方々と向き合いました。利用者の方と夜を徹して将棋を指したり、休みの日も施設に行って利用者とおしゃべりをしたりと、夢中で働いていました。

そして、1年でも早く介護福祉士の資格を取ろうと思い、NHK学園高等学校専攻科(通信課程)で勉強を始めました。28歳にして、生まれて初めて一生懸命やった勉強です。働きながらの勉強は、決して楽なものではありませんでした。でも、やるからには全部Aをとって、首席で卒業してやろう!と決めていました。日勤の日は毎朝5時に起きてレポート書きをし、夜勤明けの日は、帰宅してから少しだけ眠って、夕方から勉強しました。明確な目標を得た私は、勉強を辛いものだとは思わなかったのです。

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■介護走り書き(連載12回目)

前号では、猛アタックの末にようやく老人ホームに就職出来たこと、そして、1年でも早く介護福祉士国家資格を取得したいと思い、NHK学園高等学校専攻科(通信課程)で猛勉強を始めたところまでお話しました。

 初めて勤務した施設は老人保健施設でした。老人保健施設は、「病院で治療する必要はないものの、自宅で暮らすのは困難」という心身状態の高齢者が、リハビリテーションを目的に数日〜3か月ほど入所する施設です。夜勤もある変則勤務体制でしたが、それでも月に8〜9回の休みは確保されていたので、私にしてみればかなり有り難い職場環境でした。

 また、この施設では、その後の私の人生に大きな影響を与えてくれた素晴らしい方たちとの出会いがありました。
 まず、元お笑い芸人の私を採用してくれた、T施設長。精神科の専門医で、フロアで会うと、いつもニコニコしながら声を掛けてくれました。この方との出会いがなければ、私は介護の世界に入ることが出来ず、あのまま「負のスパイラル」から抜け出すことが出来なかったと思います。その意味では、「命の恩人」と言っても過言ではありません。
 そして、100人もの現場スタッフをまとめていた看護師長のSさん。「褒めて伸ばす」タイプの師長で、お調子者の私は、Sさんにたくさん褒めて頂いたことで、ずいぶん伸ばして頂きました(笑)。
 また、フロアの主任だった看護師のYさん。仕事をテキパキとこなすベテラン看護師で、利用者や職員からの信頼も厚く、私の初歩的な質問にも、いやな顔一つせずいつも親切に教えてくださいました。
 そして、このフロアの副主任のIさん。Iさんは、私より5歳ほど年下の介護福祉士の男性でした。Iさんからみると私は、「年上の、しかも、変わり種の新人」ですので、きっと扱いにくかったと思います。でも、介護福祉の仕事を基本のキから親切に教えてくれただけではなく、仕事帰りによく飲みに行っては熱く語り合ったものです。
 ほかにも、多くの素晴らしい先輩や仲間に恵まれました。この方たちとの出会いがあったからこそ、介護福祉の魅力に気づくことが出来たのだと思っています。


 このように素晴らしい上司や仲間に囲まれて、私は充実した日々を送っていました。そんなある日のこと、看護師長のSさんに突然呼び出されました。「何か失敗でもしちゃったのかなぁ」と不安な気持ちで師長室に行くと、Sさんは、「あのね、君にやってもらいたい仕事があるの。引き受けてくれるわよね?」と、“絶対に断れないオーラ”を出しながら、話を切り出してきました。
 私はおそるおそる「…はい…。で、どんな仕事でしょうか…?」と聞くと、「レクリエーション委員長よ!元芸人のあなたにはピッタリでしょ。少なくとも毎月1回は行事をやるから、その行事の企画と運営をやって欲しいの。やってくれるわよね!」と言いました。私は、その時は何だか良く分かりませんでしたが、とにかく「断ることは許されない状況だ」ということは分かったので、「はい!頑張ります!」と、引き受けました。
 フロアに戻って、主任のYさんと副主任のIさんに報告すると、「た、大変だけど…、頑張ってね」と二人とも気の毒そうな目をしながら言いました(笑)。その目をみた時、私はようやく「大変な仕事を引き受けてしまったんだ」ということに気がつきました。でも、引き受けた以上は、全力で取り組もうと心に誓いました。


 そうして私が最初に担当することになったのが、2月の「節分」の行事でした。例年、この行事は、職員が厚紙で出来た鬼のお面を被って適当にフロアを走り、数人の利用者がこれまた適当に豆を撒いておしまい、といった感じの、かなり消極的なイベントでしたが…、おおーっと、今月はここで字数制限(笑)!この続きは来月に!

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■介護走り書き(連載13回目)

前号では、念願の介護職員として働き始めたこと、その施設では、私の人生に大きな影響を与えてくれた素晴らしい方々との出会いがあったこと、そして、施設内の行事全ての企画・運営を担当する“レクリエーション委員長”に任命されたところまでお話しました。

今月はその続きの予定だったのですが、先日、ちょっと嬉しいことがあったので、その話をさせていただきます。11月に、私が現在勤務している宇都宮短期大学の学園祭が開催されました。なんとそこに、東京の福祉施設で一緒に働いていた仲間が遊びに来てくれたのです!何年ぶりの再会だったでしょうか。7〜8年ぶり、いや、10年ぶりくらいかもしれません。時々メールで連絡を取り合ってはいたのですが、まさか宇都宮まで来てくれるとは!学園祭当日の嬉しいサプライズでした(笑)!

その遊びに来てくれた友人は、理系の一流国立大学を卒業後、コンピューターの会社でモーレツサラリーマンとして働いていた経験があります。ところが、20代後半、突然その会社を辞めて介護職員になりました。私と彼とは同年齢で、しかも同じ転職組ということもあって意気投合し、当時は仕事帰りにしょっちゅう飲みに行っていました。ある時、私が、「国立の一流大学を卒業して、いい会社で働いていたのに、どうして突然介護職員になったのか?」と質問したときのことです。彼は、しばらく考えた後、「コンピューターは、『おはよう』って挨拶しても『おはよう』と返してくれない。職場の仲間も、コンピューターとばかり向き合っていて、やっぱり『おはよう』と言ってくれない。挨拶もしないような環境は普通じゃないと思えてきた。当たり前の環境、つまり、朝会って『おはよう』って言ったら『おはよう』って返してくれるような環境で働きたいと思って、介護職に転職した。」と話してくれたのです。

彼の話を聞いて、なるほどな〜と思いました。確かに、毎日忙しく暮らしていると、「当たり前であることの幸せ」にすら気づかなくなることってありますよね。ちなみに彼とは一緒に働いていた施設で、様々なことにチャレンジしました。身体拘束廃止の活動を行ったり、施設内で毎月居酒屋イベントを開催したりと、施設の利用者様のために、いろいろなことを企画しました。仕事帰りに飲みに行っても、「今度はこんなことをしてみよう!」とか、「ここは改善しなきゃならないね」と、仕事の話ばかりしていたのを憶えています。

そして、現在の彼は、東京都内の福祉施設でケアマネージャーとして勤務しています。都内に一戸建ての家を購入し、家族三人で仲良くくらしているとのことです。おそらく、世間一般の人が抱いている誤解、すなわち「介護職員は低賃金で、家族を養っていけない」というイメージとは、かなり違うのではないでしょうか。もちろんこれは、介護福祉士国家資格を取得した後、通信制の大学に編入して社会福祉士国家資格を取得したり、ケアマネージャーの資格を取得したりという、努力の結果でもあると思うのですが。

以前にもこのコラムで何度か書きましたが、私も、介護職の社会的な地位がもっともっと上がることや、給料がもっともっと上がることを望んでいます。ただ、それは一朝一夕ではなし得ないことです。地位や処遇を改善するためには、まず、介護職の専門性を世間に認めさせなくてはなりません。そして、専門性を認めさせるためには、やはり自ら勉強することが必要となってきます。幸いなことに、福祉系には働きながら学べる通信制の大学が多くありますし、各種の研修会も開催されています。介護職員の皆さんには、どんどん学び、専門家としてステップアップして頂きたいと願っていますし、介護福祉事業の経営者の方々には、職員の方が学べる環境や機会を提供して欲しいと思います

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■介護走り書き(連載14回目)

これまでの連載では、私自身の経験に基づいて話してきましたが、今回はちょっと内容を変えて、「離職に関する研究」からみえてきたことについてお話ししたいと思います。

 私はこの5年間、インタビュー調査やアンケート調査を何度も行い、さらには実際に実習のような形で介護に関わらせていただきながら、介護職員の離職問題について研究してきました。当然のことですが、離職率の高い施設もあれば、離職率の低い施設もあります。さて、ここで読者の皆さんに質問です。

「離職率の高い施設と、離職率の低い施設、どちらが良い施設でしょう?」

 
おそらく多くの方は、「離職率が低い施設は、職員が辞めない施設、つまり職員が長く働いている施設なんだから、そっちがいいに決まっているだろう!!」と思われるのではないでしょうか。
 ところが、実際にはそう単純な問題でないことが分かってきました。
 離職率が低い施設、すなわち、職員が辞めない施設は、両極端な2つのパターンに分類出来ます。

パターン@:職場の人間関係が良好で、職員がみな高い志をもち、専門的な介護福祉実践を行っている施設。

パターンA:職員の仕事に対する意欲が異常に低く、ひどいサービスを提供している施設。


 パターン@は、非常に望ましい施設で、そのまま専門的な介護福祉実践を続けて欲しいのですが、問題はパターンAに分類される施設です。なぜ「ひどい施設」なのに離職者が少ないのかというと、「こんなに楽な職場は他にはない」と考えている職員が多いからです。

 ちょっと衝撃的な内容ですが、いくつかの例を挙げます。例えば、パターンAに分類されるA施設は、夜勤は2人体制で、本来は1時間ごとに各部屋を巡視(見回り)し、夜勤者は交代で2時間ずつ仮眠をとることに決められています。しかし、その2人の夜勤者で勝手にルールを変更して巡視の回数を減らし、4時間ずつ仮眠をとっているとのことでした。この職員に言わせると、「他の施設じゃ仮眠4時間もとれないから、この施設を辞めたくない」となる訳です。
 また、B施設では、日中、4回のオムツ交換を行うと決められていますが、ここでも職員によっては勝手にルールを変更して、オムツ交換の回数を3回や2回に減らしていました。この職員に言わせると、「こんなに楽な施設はないから辞めたくない」となる訳です。

 つまり、単純に離職率だけでは、介護福祉実践の問題の本質は語れないということです。ちなみに、離職率が高い施設は、パターン@とパターンAの間に位置づけられます。これをパターンBとしましょう。このパターンBのなかにも、さらに2つのパターンがあります。

パターンBA:勉強熱心で、仕事に対する意欲が高い職員が影響力をもっているが、そういう職員の数はあまり多くない施設。ここでは、勉強熱心でなかったり、仕事に対する意欲に欠ける職員は居心地が悪くなり、辞めていく。

パターンBB:ヤル気のない職員の影響力が強い施設。高い志をもって就職した職員は、理想とのギャップに悩み、辞めていく。


 
もちろん、一般的に報道されている賃金や人手不足の問題も無視出来ないことは事実です。しかし、賃金や職員配置に大きな差がないにも関わらず、離職率が高い施設とそうでない施設があるという現実に着目すると、離職率を下げ、介護福祉実践現場において職員確保をしていくための方策がみえてきます。
 
詳しくは次号でお話しますが、そのカギは「介護福祉実践における専門性」に他ならないのです。

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■介護走り書き(連載15回目)

 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震で被災された皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。震災後、日本全体が大変な状況となり、私の身内や友人からも悲しいニュースが入ってきていますが、今は倹約しながら勤勉に、一生懸命がんばることが大切だと思っております。
 一方で、明るい話題もいくつかあります。その一つとして、私の勤務校である宇都宮短期大学には、今年も多くの新入生が入学してきてくれました。とても嬉しいことです。教員として着任してから5年目のスタートとなりますが、初心を忘れず、毎日が真剣勝負という気持ちで日々学生達と向き合っていきたいと思います。

 さて、前号では、「離職率だけではみえない大切なことがある」ということについて触れました。「離職率が低い施設=良い施設」という方程式は、成立する場合もあれば、成立しない場合もあること、離職率が高い施設、離職率が低い施設、それぞれに2つのパターンが存在するということについてお話しさせていただきました。

 私は、本学の卒業生をはじめとした多くの介護職員や、福祉事業所を経営されている方から直接お話しを伺う機会が多々ありますが、職員、経営者双方から、「離職者が多い」、「人手が足りない」との声を聴きます。
 これは、(財)介護労働安定センターが実施した全国調査「平成21年度介護労働実態調査」の結果とほぼ同じです。同調査によると、介護労働者を対象とした「働くうえでの悩み、不安、不満等」では、回答者の約4割にあたる39.4%が人手不足を挙げ、事業所を対象とした「従業員の過不足状況」では、全体の半数近くである46.8%が「介護職員が不足している」と回答しています。
 介護職員の離職原因として、マスコミ報道等では、低賃金や重労働が取り上げられることが多いようです。確かに、「賃金や重労働の問題が全くない」と言えばウソになりますが、実際より大げさに報道されている場合があること、また、介護職員の職場定着を図るうえでは、もっと優先すべき課題があることをお伝えしたいと思います。

 まず、介護職員の賃金は、全産業の中でどの程度に位置しているのかについてお話しさせていただきます。平成21年に、山田篤裕先生と石井加代子先生という二人の経済学者が「介護労働者の賃金決定要因と離職意向」という論文を発表しています。この研究は、総務省が約100万人を対象に行った調査データを非常に丹念に分析したものです。この論文では、「介護職の賃金水準は(看護師より低いとはいえ)全産業の中間からやや上に位置する」と報告しています。
 私は、「介護職員の賃金は現在のままでよい」と言いたくてこの分析結果を紹介したのではありません。ただ、印象だけで「介護職員の賃金は、生活を維持出来ないほど安い」と断定するのは、少し乱暴ではないかと思うのです。

 しかし、そうは言っても賃金に対する不満があるのは事実ですから、そうであれば、「賃金を上げるためには何が必要か」という議論が必要です。「賃金を上げろーーっ」と叫ぶだけでは無意味なのです。当たり前のことですが、「誰にでも出来る簡単な仕事」でありながら「高賃金」という“おいしい仕事”は世の中にはありません。つまり、世間の人々が「介護職員の仕事は専門性の高い業務だ」と認めてくれない限り、賃金上昇議論は、空しい議論になってしまいます。
 禅問答のようになってしまいますが、それでは、「介護業務の専門性」とは何でしょうか?私のこれまでの経験と研究で得た知見から考えますと、それは「自立支援」に違いありません。「自立支援」という言葉は介護業界でよく耳にする言葉でもありますが、誤った意味で使われている場合があるようです。そこで、次号では、「自立支援」の意味と、介護福祉実践現場が目指すべき「自立支援」についてお話したいと思います。


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■介護走り書き(連載16回目) 

前号では、ある経済学者が約100万人のデータを丹念に分析した結果、「介護職の賃金水準は、全産業の中間からやや上に位置する」と報告していることをお伝えしました。とはいっても、賃金に関して不満をもっている介護職員がいることは事実ですし、私自身も、介護職員の賃金を上昇させたいと強く思っています。
 そこで、「どうすれば介護職員の賃金が上がるか」が大切な議論になってきます。「誰にでも出来る簡単な仕事」でありながら「高賃金」という“おいしい仕事”は世の中にはありませんから、世間の人々に「介護職員の仕事は専門性の高い業務だ」と認めてもらうことが大切だというところまでが前号の内容でした。

 さて、唐突ですが、今年も暑い季節がやってきました。
 私たちは、暑くなると汗をかきます。汗をかくと、のどが渇きます。のどが渇くと、水分を摂りたくなります。この「当たり前のこと」が、実は介護の専門性を考えるうえで、とても大切なことなのです。
 人間の体重の約60%は水分(体液)で、一定の水分量を保つことは非常に大切なことです。体内の水分量が著しく減少すると脱水症になり、意識レベルが低下したり、重篤な場合は生命を失うこともあります。通常ですと、体内の水分量が低下するとのどが渇くので、水分を摂り、脱水症にはなりません。
 「のどが渇く」というサインは、植木鉢の土が乾燥するように「のどが乾燥している」のではなく、体内の水分量が減っている時に感じるサインなのです。これは大変よくできているサインで、誰だって、のどが渇くと、冷たい飲み物でのどを潤わせたくなりますよね。
 もし、体内の水分量が減少した時のサインが、全く別のサインだったらどうでしょう。例えば、体内の水分量が減少すると、頭がかゆくなるとか(笑)。その場合は、体内の水分量が減っていても、頭をかきつづけるだけですから、みんな脱水症になってしまいますよね(笑)。

 話が脱線してしまいましたが、高齢者の場合、体内の水分量が減少していても「のどが渇く」というサインが出にくい方がいます。あるいは、のどが渇いていても、「トイレが近くなるのがイヤだから」という理由で、水分を摂りたがらない方もいらっしゃいます。
 他にもいくつかの理由がありますが、いずれにしても、高齢者の場合は体内の水分量が減少しやすいと言えます。介護職員は、このことを常に意識して対象者を支援していくことが重要なのです。

介護の仕事の専門性は、優しさや思いやりだけではありません。あっ、誤解のないように言っておきますが、「介護の仕事に優しさや思いやりは必要ない」と言っているのではありません。というか、必要です(笑)。でも、それだけでは不十分だということです。
 自分で歩くことが出来ない方の移動方法をお手伝いすることや、食べることが出来ない方に食事の介助をすることなど、「出来ない部分を支援する」というのは重要な介護の仕事ですが、さらに積極的な介護と言いますか、頼まれてもいないのに積極的に支援することも、場合によっては必要なのです。
 その一例が、積極的に水分摂取を勧めることです。もちろん、病気などによって、主治医から水分を制限するように指示されている方を除いてですが。 

私はこれまで多くの高齢者と関わってきましたが、水分摂取量を増やしたことによって元気を取り戻した方を大勢見てきました。
 では、一体どのくらいの水分を摂ればよいのでしょうか。一般的には、1日1,500ml以上と言われています。500mlのペットボトル3本分ですから、「そんなに必要なの?」と思う方も多いかもしれませんね。

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■介護走り書き(連載17回目)

 平成21年9月から、約2年間にわたって連載してきた「介護走り書き」ですが、今回で最終回となりました。これまでの2年間、私のつたない文章におつきあいいただき、本当に感謝しております。ありがとうございました。
 さて、この連載では、私自身の経験、介護福祉実践現場の魅力、そして課題などについてお話してきました。最終回の今回は、これまでにも何度か取り上げてきた、介護職員の離職問題について、将来への期待も込めてお話しさせていただきます。

 27歳でお笑い芸人を辞めた私が、介護福祉の世界と関わるようになってから、約15年が経過しましたが、この間に、介護福祉実践現場を取り巻く環境は大きく変化しました。
 私が初めて老人ホームに就職したのは、平成8年、28歳の時です。その4年後、平成12年に介護保険制度が始まったこともあり、当時、介護福祉士は一躍人気職種となりました。全国の介護福祉士養成校は、どこも定員いっぱいで、毎年多くの介護福祉士が地域の実践現場に就職していきました。また、実務経験3年を経て国家試験を受験する、いわゆる実務経験ルートの介護福祉士も多く誕生しました。国家資格としての介護福祉士が誕生したのが昭和62年ですから、それからの約15年間は、「介護福祉士の時代の幕開け」といった雰囲気だったのです。

 ところが、ある出来事がきっかけで、状況は一変しました。
 ご記憶の方も多いかと思いますが、平成18年に起きた、いわゆる「コムスン事件」です。この事件は、全国で介護保険事業を展開していたコムスンという会社が行っていた介護報酬の不正請求や、その後の処分逃れが、大きな社会問題になった事件です。この事件を契機に、「介護職は重労働で低賃金」、「介護職では給料が安くて、結婚も出来ない」といった報道が目につくようになりました。そして、介護福祉士を目指す若者が減少したのと同時に、現職介護職員の離職問題が大きく取り上げられるようになってきたのです。

 マスコミ報道では、「低賃金」を離職理由にしていることが多かったのですが、実際の介護現場にいた私としては、むしろ「賃金以外の離職理由」の方が大きいと感じていました。それから数年間、実際に離職を経験した方々へのインタビュー調査を行ったり、施設を対象にしたアンケート調査などを行ってきました。
 その結果、介護職員の職場定着については、この連載でも何度かご紹介した通り、職場環境と、職員自身の専門性の認識がカギだということが分かりました。つまり、「ある施設を短期間で離職した介護職員」であっても、「その後に就職した他の施設では長く働いていることが多い」というケースがたくさんあったのです。こうなってくると、離職は「個々の介護職員の問題」ではなく、「施設側にも大きな問題がある」ということになってきます。この「施設側の問題」について、様々な角度から掘り下げた結果、結局、介護職員の職場定着促進に向けては、以下の点が重要だということが分かりました。

@施設のトップは、「利用者の自立に向けた介護を行う」と、明確に意思表示すること。
A個々の介護職員が「専門職」であることを認識出来るような組織に変革していくこと。

 ポイントは、水分、食事、排泄、運動のケアをしっかりと行うこと、車椅子の方は出来るだけ普通の椅子へ、オムツの方は出来るだけトイレで排泄をというケアを施設ぐるみで徹底すること、また、改善した事例は、事例検討会を開催して、そのノウハウを職場全体で共有すること、そして、一人ひとりの介護職員に、資格や職務を明記した名刺をもたせること、などです。 
 施設長が中心になり、こういった組織の変革と自立支援介護を実践することが、実は介護職員の職場定着促進にはもっとも重要なことだったのです。
 近い将来に再び、「介護福祉士新時代の幕開け」がくることを願い、日々の教育・研究活動にまい進していきたいと思います。

(おわり)

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古川 和稔 
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